2006年12月11日(月)更新
いとこの死
週末金曜日夜、社に残りブログ記事を1本UPした後、仕事の整理をしているとき
普段めったにかかってこない母親からケータイに連絡が入った。
静まり返った社内に無機質に響く着信音。
数秒後から展開する話の内容を予測して、
荘厳なメロディーにオートマチックに切り替わる程、まだケータイは進化しておらず
こんなポップなメロディー設定時のテンションが恨めしいほど軽快に繰り返す。
通話ボタンを押せばすぐに応答出来たが、一息二息大きく吸い込んで
6回目くらいに重い指先で着信音を終わらせた。
内容は予測したとおり、いとこの早すぎる死を知らせるものだった。
病状が深刻なものだと聞かされたのは9月に入ってからである。
スポーツマンの彼は、私なんかよりはるかに健康で体格もよく、
今夏までは、何の変わりもなくはつらつと生活していた。
8月、職場の健康診断でひっかかってから僅か約4ヶ月という
短すぎる闘病期間でもあった。
世間一般と同じように小さい頃からいとこの彼と彼の兄上に遊んでもらうのが
盆と正月の一番の楽しみであった。
まだ若い奥様と、高校生と中学生の子供の3人を残し、
46歳の若さで旅立つ無念さはいかばかりか。
本人以外が、とうていその無念さを推し測れるものではない。
何もかも、これからなのに・・・・・
昨日、お別れをしてきた。
これからの日々
予想以上の成果を喜ぶ今日も
何の収穫も無かったと、ため息をつく明日も
腹から笑い、心から愉しむ明後日も
・
・
勇往邁進する来年の今日も
彼には、どうにかして生きたかった、
何としてでも生きたかった
なのに叶わなかった同じ日々なのだ
無常にも彼には断たれたこれからの日々を
我々は生きている限り経験できるのだ。
明るい事はもちろん、どんな艱難辛苦が待ち構えていても
明日があるという事に感謝して生きていく。
「有難うございます」-コメント
吉田さん、気持ちをお察しいただき有難うございます。早い遅いではなく近親者との別れは誰にも訪れる深い悲しみですが、あまりにも早い別れは特に辛いものがありますね。彼らの無念さに比べたら、明日があることに感謝せずにおれず、どんな事にも耐えて立ち向かう事が、したくてもそう出来なかった彼らに対する供養にもつながる気がいたします。
「生者の責務」-コメント
私の高校時代の同級生にも、既に鬼籍に入ってしまった人物がいます。
私たち生者は有限の生を、漫然と過ごすのでなく、充実したものにしてゆきましょう。
「確かに・・」-コメント
馬場さん、コメント有難うございます。
確かに漫然と過ごすのではなく、過ごせる日々を充実させるのは生者の責務ですね。今のその思いを喉もと過ぎればで、ついつい忘れてしまわないようにする事も大切です。









「お察しいたします」-コメント
庄山さんの悲しみいかばかりかと、お察し申し上げます。私も3年前にまだ30代半ばの従妹を心臓病で亡くしました。生まれつき心臓に持病を抱え、入退院を繰り返してはいましたが、元気に東京で社会復帰した矢先のことでした。子どもの頃から、妹のようにかわいがってきただけに、気持ちの遣り場がなく、呆けたようになっていたことを思い出します。私も、無念だったろう彼女を思いながら、どんなことでも有り難いと思いつつ今を生きております。
投稿者:吉田啓二 2006年12月11日11時26分